背負うもの、捨てるもの
2012年 09月 19日
この夏ぐらいから。。。いえ、もっと前からかな、
私の生活からほとんど消えたものがあります。
それが何かというと、テレビを見ること。
それまでは、朝と夜のニュースぐらいは毎日見ていたのに、
それすらも見ること無く、今や週に一度見るか見ないかになりました。
当たり前のものが当たり前ではなくなっていくこと。
そう、テレビって本来は生活に当たり前にあるもの。
意識なんてしてなくてもテレビは一般家庭に普及し、いつのまにか生活に溶け込んでいったもの。
そして、そうやっていつの間にか、気づかないうちにどんどん生活の中に入っていったものがあることに、ふと、自分の意思とは関係ないところで、様々なことが生活の一部になっていったこと気づかされます。
パソコンだってインターネットだって、携帯だって。。。あらゆる便利さだって。
そして同じように私たちはいつの間にか、膨大な電力を使わざる得なくなっていったのだということにも気づかされる。
そして、昨夜六ヶ所村再処理場完成が一年の延期が決まったことを知り、
いつの間にか生活を支えていたであろう原子力発電のことを思いました。
私はもともと原発は反対です。
昨年の事故からではなく、もっと前から反対と思っていました。
原発への意識が変わってから、それまで無意識に使っていた電力への意識が変わりました。
勉強し心改め、あらゆる試行錯誤をし、月額の電気料金を半額近くまでシフトチェンジしました。
無駄って、気づかないんですよね。ちゃんと向き合わないと。
ですが、原発の話を友人知人と話をすると、たいてい討論になります。。。
そんなに簡単なものじゃないと。
確かにこうやってパソコンに向かって電力を当たり前のように消費していると、
簡単に原発反対なんて言ってはダメだということにも気づかされます。
反対するからには、背負う負担があることをもっと認識しなくては。
そして現実原発が住んでいるところにあるのと、
その恩恵を無意識にうちに使用しているのと、
まったく意識と生活への関わり方は違うと思います。
だからこそ何をすべきで、何を排除して、何を示せばいいのだろうか。
ちゃんと今に向き合って生きていたい。
そして、ときに自然の中に身をゆだねると、ふと気づかされます。
ずいぶんと余計なものを背負って生きてきてしまったなぁと。
自然は何も要求してこないのに。。。
なのに、すごくたくさんのことを気づかさせてくれます。
同じように、旅するとよく思います。
大きくても登山リュックほどの荷物で国内外を旅すると、
たったこれだけの荷物でも生活できることに気づき、
それだけなのに、自分が笑っていることにも気づくんです。
すごくすごくちょっとしたことに、感動したり、感謝したり、笑顔になったりしている自分に気づくんです。
よく箸がころがっても笑うでしょって、高校生ぐらいの子達に話すと思うのですが、
私っていまだに笑いのつぼが低すぎるようです。
思いも行動も。。。「シンプルに」。
大好きな言葉です。
写真は日月曜日と急遽参加した 「いのちの祭り」 です。
残念ながら滞在した二日間は天気がよくなくて、会場はかなり静かだったのですが、
友人とアウトドアチェアーに座り、霊峰富士の麓で自然の中で語らえた時間が何よりも楽しい時間でした。もちろんほんっとに久しぶりに踊れたのもよかった☆
私の生活からほとんど消えたものがあります。
それが何かというと、テレビを見ること。
それまでは、朝と夜のニュースぐらいは毎日見ていたのに、
それすらも見ること無く、今や週に一度見るか見ないかになりました。
当たり前のものが当たり前ではなくなっていくこと。
そう、テレビって本来は生活に当たり前にあるもの。
意識なんてしてなくてもテレビは一般家庭に普及し、いつのまにか生活に溶け込んでいったもの。
そして、そうやっていつの間にか、気づかないうちにどんどん生活の中に入っていったものがあることに、ふと、自分の意思とは関係ないところで、様々なことが生活の一部になっていったこと気づかされます。
パソコンだってインターネットだって、携帯だって。。。あらゆる便利さだって。
そして同じように私たちはいつの間にか、膨大な電力を使わざる得なくなっていったのだということにも気づかされる。
そして、昨夜六ヶ所村再処理場完成が一年の延期が決まったことを知り、
いつの間にか生活を支えていたであろう原子力発電のことを思いました。
私はもともと原発は反対です。
昨年の事故からではなく、もっと前から反対と思っていました。
原発への意識が変わってから、それまで無意識に使っていた電力への意識が変わりました。
勉強し心改め、あらゆる試行錯誤をし、月額の電気料金を半額近くまでシフトチェンジしました。
無駄って、気づかないんですよね。ちゃんと向き合わないと。
ですが、原発の話を友人知人と話をすると、たいてい討論になります。。。
そんなに簡単なものじゃないと。
確かにこうやってパソコンに向かって電力を当たり前のように消費していると、
簡単に原発反対なんて言ってはダメだということにも気づかされます。
反対するからには、背負う負担があることをもっと認識しなくては。
そして現実原発が住んでいるところにあるのと、
その恩恵を無意識にうちに使用しているのと、
まったく意識と生活への関わり方は違うと思います。
だからこそ何をすべきで、何を排除して、何を示せばいいのだろうか。
ちゃんと今に向き合って生きていたい。
そして、ときに自然の中に身をゆだねると、ふと気づかされます。
ずいぶんと余計なものを背負って生きてきてしまったなぁと。
自然は何も要求してこないのに。。。
なのに、すごくたくさんのことを気づかさせてくれます。
同じように、旅するとよく思います。
大きくても登山リュックほどの荷物で国内外を旅すると、
たったこれだけの荷物でも生活できることに気づき、
それだけなのに、自分が笑っていることにも気づくんです。
すごくすごくちょっとしたことに、感動したり、感謝したり、笑顔になったりしている自分に気づくんです。
よく箸がころがっても笑うでしょって、高校生ぐらいの子達に話すと思うのですが、
私っていまだに笑いのつぼが低すぎるようです。
思いも行動も。。。「シンプルに」。
大好きな言葉です。
写真は日月曜日と急遽参加した 「いのちの祭り」 です。
残念ながら滞在した二日間は天気がよくなくて、会場はかなり静かだったのですが、
友人とアウトドアチェアーに座り、霊峰富士の麓で自然の中で語らえた時間が何よりも楽しい時間でした。もちろんほんっとに久しぶりに踊れたのもよかった☆
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by cafestyle19
| 2012-09-19 09:39
| 日々のあわ